陶芸家ニナルッ!

好きなことして生きていきたい!40代OLの奮闘記です

【ミチシルベ】綺麗に、正確に、はいつも正しい?


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こんにちは。

陶芸家ニナルッ!と奔走中のmachicooです。

 

自分の中での気づきを、あとあと思い出せるように残しておく、“ミチシルベ” シリーズ。

第2弾は、作品を綺麗に、正確に、きっちり作れないとダメなのか?についてです。

 

  • 居酒屋にて

先日、友人に連れて行ってもらった居酒屋さん。家の近所でいつも混んでるお店がある!と紹介してくれたお店。

 

冒頭の3枚の写真はそのお店で使われていた器たちです。電動ろくろで綺麗につくられたものとは明らかに異なる手作り感、伝わりますでしょうか?

 

お料理が提供されるたび、わわっ、素敵!と思えました。一緒にいた友人も同じ反応。そのくらい一点一点に存在感があって、でも料理の邪魔をせずにマッチして、とても印象に残る。そんな器ばかりでした。

 

もし自分がこの器を作っていたら、果たして納得していたかな…と思えてきます。でも、使い手側の受け止めは違いました。

 

きっちりと綺麗に作ることは、ともすると機械的になる。言葉では理解していたけれど、それが妙に腑に落ちた出来事でした。

 

友人に、このお店に来れてよかったなぁ〜とお礼を伝えると、私にぴったりのお店でよかった、と喜んでくれてて、またこちらも嬉しくなりました。

 

いろんなところにヒントは散らばってるものですね。

 

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先日、大学の授業で『茶の湯』の講義を受けました。座学のあと、茶器にまつわる美術館を二箇所見学して初日が終了。翌日は、裏千家での茶道実習。普段は入ることができない裏千家の茶室を見せていただいたり、実際にお茶を点ててお点前の一部を体験もしました。

 

美術館で見た抹茶碗は、きっちりと作られたものよりも、歪みがあるものののほうが多く、そちらの方に目がいく。絵の具の質が悪かったから、という滲んだ絵付けにも味がある。そのようなものが美術品として後世に残されている。ああ、綺麗に作るだけが正解ではないのだな、と感じられました。

 

茶道には、本当はものすごくたくさんの手順があります。でも、裏千家の先生は、形式を気にしすぎず、気軽に茶事を日常に取り入れて欲しいと。来客があったときに、相手のことを思ってお茶を点てて、おしゃべりしながらいただく。それだけでも立派な茶事ですよ、と。

 

茶道の道を極めている方からそのような言葉が出るのは意外で、一気に茶事が身近に感じられました。こうして茶器にも興味がでてきました。

 

授業の帰り道、早速、本場京都でお茶菓子と抹茶を買いました。抹茶は種類も沢山あって迷いましたが、京都限定に決定。なかには表千家好み、裏千家好み、と書いてあるものもあり、流派によっても好まれる味が分かれるのかぁ、と新たな驚き。

近いうちに、自宅で抹茶をいただきたいと思います!

 

(╹◡╹)最後までお読みいただきありがとうございます

時系列としては、居酒屋の翌日に、茶の湯の授業。立て続けに、綺麗に作るだけが正解ではない、と感じる出来事が起きました。

 

普段ろくろで綺麗にきっちり作るほうに意識が行きがちですが、覚えておきたいなぁと思います。

 

それではまた!

machicoo